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JAL ボーイング747-400 『ジャンボジェット』、完全退役!

2011年3月1日、今日を持ってJALのジャンボジェット、ボーイング747型機がすべての活躍を終え、完全に退役しました。

1971年に初号機のJA8101が導入されてから約41年、1990年にはハイテクジャンボこと-400型の初号機であるJA8071が導入されてから21年の月日が経過しました。
また、2009年には-300型までのクラシックジャンボが退役し、残る-400型が2015年春まで運行を続ける予定でしたが。経営破たんにより計画が4年早められ、本日退役することになりました。
なお、国内線機である-400D型機は、先のレポートにもあるように2月20日をもって退役しています。

本日最終便として運航されたのは、JL75便(HNL-NRT)JL3098便(OKA-NRT)の2便。それぞれJA8089とJA8077が使用されました。
後者は通常JTAの737による運航ですが、今回のラストフライトのためJALの747による運航となりました。

さてさて、私は学校が終わりスカイライナー29号に飛び乗って成田空港へ向かいました。
空港には12時44分に到着、一方先行のJL75便の着陸予定時刻(ETL)は12時52分と出ていたので間に合うかどうか微妙でしたが、なんとかセーフ。デッキではカメラ穴が開いていなかったので通常のフェンスからの撮影となってしまいました。


JL75便が姿を現したのはETLぴったりの12時52分。名実ともに「ファイナル」アプローチです。


そして、JA8098は成田空港へ最後の着陸を果たしました!


別れを惜しむかのように、ゆっくりと減速していきます。


A3-TWYまで転がって、グランドにコンタクト。タワーからは「長い間お疲れ様でした」とのねぎらいの言葉がかけられました。


先日のJA8084と同様に41年分のありがとうをジャンボに乗せてというステッカーがL2ドア前に張られています。


そして我々の目の前からゆっくり姿を消しました。

続いて降りてくるJL3098便のETLは13時09分。ホノルル便から遅れる事17分です。
機体がゆっくりとRWY34Lに舞い降りてきます。ETLほぼピッタリの13時08分でした。

この便を持って、JALのジャンボの歴史には幕が下ろされます。本当に最後の着陸になります。


そして、こちらもファイナルタッチダウンを迎えました。同時に、4機のエンジンがリバースをかけるためカウルがスライドします。


超大型機では747の後継機となるA380との行き違いも見られました。彼女たちはここで何を語るのでしょうか…。


747の特徴であるトリプルスロテッドフラップもよく見えます。スポイラーも急角度で立っています。
色褪せた垂直尾翼が、もの悲しさを演出しています。せめて最後ぐらいはもっときれいな機体を飛ばしてほしかったと思うのは私だけでしょうか…?


通いなれた成田とも今日でお別れ。皆にさよならを告げ、ゆっくりとA-TWYを進みます。
飛行機たちが語り合うシーン、明日からここにJALのジャンボの姿はありません。そして、帰ってくることもありません。アエロフロート機をプッシュバックしているのが、JALのスーパーリゾートエクスプレス(リゾッチャ)塗装というのも泣けてきます。これも、ジャンボに施された美しい塗装の1つでした。


W10-TWYからB-TWYに入り、2タミ前の411番スポットへとタキシングていきます。
後ろには、先に運用を終えた仲間たちが待ってお出迎えです。また、この先ジャンボを保有し続けるNCAのジャンボにも、この後任せた!みたいな挨拶をしていることでしょう。本当に感慨深くなるシーンでした…。

この後、昼食を摂り、フォロワーさん方と別れ、ジャンボが待つオープンスポット前へ。

411番スポットには沖縄からやってきたJA8077が居ました。まだ到着して間もないため、パイロットやCAさんたちがちょうど出てきて記念撮影やらをやっているところでした。


JL3098便ラストクルーのみなさん。

続いて68番側に移動。当然ながらJA8089がいました。こちらは何やら動きそうな予感。

そうこうしていると、トーバーレストラクターがやってきて、ノーズギアをがっちり抱え持ち上げました。
動かぬうちにロゴ周りをパチリ。

先述の41年分のありがとうをジャンボに乗せてはもちろん、先ほどは気づかなかった、L1とL2の後ろに張られた手形ステッカーも発見しました。41年のありがとう TOUCH ME 感謝のしるしにと書いてあるようです。


そして、TLTが連結されて何分も待つことなく、プッシュバックが始まりました。ランプコントロールを聞いていなかったので行先はわかりませんでしたが、退役記念式典が行われるハンガーへと向かったようです。

S7-GWYを通過して、グランドへ。最後の最後に、ジャンボが2機並んだ?瞬間も目撃できました。
最後の最後にこんなシーンが見れるなんて思ってもみなかったので、とてもうれしくかつ感動しました。

だいぶ微妙な構図ですが、この場所からはこれが限界でした。でもちゃんとレジも入ってるし、ウィングレットも入ってるし、これでいいかななんて、自己満足の世界ですが…。

411番側に戻ると、別れを悲しむかのように急に雨が降り出しました。
JALジャンボとは、これで永久にお別れをすることになります。大げさですが、本当に悲しく、つらい気持ちになりました。後ろ髪をひかれつつ、やむなく空港を離脱し、JRで帰路につきました。。。


112機のJALジャンボたち、数々の感動をありがとう、そして、さようなら。
また会える日まで、きっと忘れません。本当にありがとう!!


というわけで今日はレポートから外れ、ファイナルタッチダウンの記事を書きました。

また、以下に日本航空のジャンボジェット41年の歴史を長々とまとめてあります。暇があれば「続きを読む」よりぜひご覧ください。ちなみに400字詰め原稿用紙に直すと18枚分ほどの量になっておりますので、挑戦される方は勇気をもってどうぞ(苦笑)

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以下、「JALジャンボ歴史編」です。原稿用紙に直すと約18枚分ほどあります…。

最初に導入されたのは747-100型機で、導入2号機のJA8102が1970年7月1日から羽田-ホノルル線
に就航しました。当時、エコノミークラスは3-4-2配列で321席が配置されていたそうです。帯の初代鶴丸塗装は、このジャンボの導入に合わせて制定されたCIでした。
その後、アメリカ本土線に就航しましたが、当時はジャンボといえども航続距離は長くなく、ホノルルでの途中給油を余儀なくされていました。

翌年2月に導入された4号機のJA8104からは、改良型の-200B型を国際線機材として導入し、香港線や「栄光の001便」サンフランシスコ線にも投入され、東行便ではノンストップ飛行が可能になりました。

1972年になると、機体も路線も一気に増強し、国内線でもジャンボが活躍し始めました。初便は8月1日の羽田~那覇線で、先述のJA8102で運航されたそうです。
また、この年からアンカレッジを経由した北回り欧州線の運航も始め、翌年にはDC-8による南回り線で運航されていたヨーロッパ線は完全にジャンボへと置き換えられました。
そして、日本専用特注機である747SR-100の導入を決め、翌年秋には1番機のJA8117を受領し、羽田~那覇線で運航を始めました。また、1973年には導入間もないJA8109がハイジャックされ、リビアのベンガジで爆破されるという事件も起きました。幸い乗客に死傷者はいませんでしたが、新品の機材を失った、当時のJALの気持ちは想像を絶するほどでしょう…・

1974年になると、基幹路線である羽田~千歳・福岡線にもジャンボが飛び始め、日本の空の様子が一気に変わっていきました。現在標準である10アブレスト配置になったのもSRからです。
また、フレイターの747-200F(JA8123)の運航もこの年の10月から開始し、1976年には2号機を導入、貨物需要もますます旺盛になっていきました。
そして1975年6月に、28号機を導入し、増備はいったん終了となりました。

1978年には新東京国際空港が開港し、国際線はすべて成田発着となりました。羽田ベースで活躍を続けるの、7機の747SRのみとなりました。

4年後の1979年に導入再開をした際、エンジンはより強力なJT9-7Qが選ばれ、機内もSRと同様のエコノミー10アブレストとなりました。
1980年には、747-100Bという機種も導入されました。こちらは-200Bの最大離陸重量を低減させたタイプで、国内線で使用されました。この初号機であるJA8142からはアッパーへ上がる階段がらせん式から直線式に変更されたほか、アッパーデッキの容積も増やし、モノクラス550席という当時としては驚愕の座席数を誇りました。
翌年には、直線式階段を有する-200B(JA8149、JA8150)も導入し、ホノルル線専用機材「アロハエクスプレス」として就航しました。これが、後々のスーパーリゾートエクスプレス、そしてReso'chaへとつながるのです。

さらに1982年には台湾路線運航会社である日本アジア航空にもDC-8に代わって747が導入され、DC-10とともにワイドボディ2機種での運航が始まりました。ここで新造機の導入は1年半ストップします。

次に導入されたのは、-300型機用に開発されたJT9D-7R4G2エンジンを搭載し、燃料タンクも増設した-200B型機の再改良版の2機(JA8161、JA8162)。これにより、747SPと同様のパフォーマンス(成田~ニューヨーク直行)を獲得し、同機で運航していたパンアメリカン航空に大きく差をつけることとなります。「エグゼティブエクスプレス」という名前が付けられ、ファーストとビジネスを合わせた座席数が112席という、上位クラスの割合が高い機体になりました。
この年の秋には、アッパーデッキを延長した-300型機(N212JL、N213JL)が導入されました。資金繰りにあえいでいた当時の日本航空は、税制面で優遇されるレバレッジド・タックス・リースという形でアメリカのファンドからリースして運航されました。ただ、パイロットもFAA資格を持っていないと乗務できないなどの制約も多かったと聞きます。

その後導入したクラシックジャンボの旅客型はすべて-300系列となり、初めの2機以外は自社導入機となりました。
1985年2月には、50機目となるジャンボのJA8166を受領し、ジャンボカスタマーとしての地位をますますゆるぎないものにしていきました。

しかし、その日はやってきます。1985年8月12日、羽田空港を離陸したJL123便(SR型 JA8119)が駿河湾上空で原因不明の爆発により操縦を失い、約1時間にわたる迷走の末、群馬県上野村山中の御巣鷹の尾根に墜落し、520名の尊い命が失われるという大きな事故が起きました。この事故は現在まで、単独機による最大の事故として記録されています。ジャンボだからこそ、いったん事故が起きてしまうと多くの人が亡くなるという、当たり前ではあるものの多くの人に飛行機の恐怖を植え付けた事故でもありました。

1986年4月、事故のイメージが強い中、また新しい機種が導入されました。-100型機をベースに、アッパーデッキを延長した-100B/SUD型という、JALのみの特注機です。
当然、-100型がベースのため、エンジンはJT9D-7Aを装備し、座席数は-100B型よりもさらに多い563席となり、世界一の座席数記録を再び更新しました。翌年には同エンジンの生産が終了したことから、-300型と同じJT9D-7R4G2エンジンを搭載した-300SR型という機種に変更されます。ただし、エンジン以外の仕様変更は一切ないため、見分けるのは非常に難しい、というか無理です。

翌1987年には、新世代ジャンボの-400型(以下ダッシュ400)を5機発注しました。周辺の航空会社に後れを取り、正式に発注した時には14番目の発注者になっていました。
ダッシュ400の特徴は翼端に装備されたウィングレットと、大幅に電子化されたコクピット、そして2メンクルーとなったことです。また、エンジンも新世代の物に変わり、JALではGE製のCF6-80Cエンジンを選択しました。従来のP&W製JT9D-7エンジンと比べると、とてもスマートになった外観が特徴です。

1988年、クラシックジャンボは退役機の発生によって大きな転換を迎えます。
まず退役したのはSR型のJA8118。3年前の事故による、強度試験のためボーイング社に売却されました。続いて僚機のJA8117が退役。こちらは連邦航空宇宙局に売却され、スペースシャトル運搬機として現在も活躍しています。
退役が進む一方。当然ながら?新造機の納入も行われ、新造機としては62機目となるJA8189が新たにフリートに加わりました。この機はJALではなく、日本アジア航空へ納入され、2007年の引退までの間、ずっとJAAで活躍しました。後にも先にもJAAに導入されたジャンボはこの1機だけです。

1990年1月にはダッシュ400初号機のJA8071が引き渡され、2月14日13時過ぎ、成田空港RWY34に着陸し、新世代ジャンボの歴史がスタートしました。2号機はモーゼスレイクでの訓練フライトに使用されましたが、3号機はラインインすべく日本にフェリー、そして4月1日からは成田~ソウル線と羽田~福岡線で就航しました。
6月には発注した5機がそろい、全機が国際線での運用をスタート。
そして8月には成田~ニューヨーク線に就航し、それまで活躍していた「エグゼティブエクスプレス」をその座から引きずりおろしました。
10月には、SR型を置き換えるべく、新世代ジャンボの国内線専用機-400D型機が導入され、JA8083JA8084が就航。-400型のポイントであるウィングレットは装備せず、かわりにブレーキングユニットクーリングファンが装備され、頻繁な離着陸に対応しました。その後1993年6月までに8機を受領し、SR型を全機置き換えました。

そして、1992年5月、JA8101とJA8102がそろってJALのフリートを離れ、アメリカへと旅立っていきました。
ここから本格的なクラシックジャンボを一掃する退役が始まります。10月には、ニューヨーク線とロンドン線に使用すべく、ダッシュ400の「ビッグエクスプレス」が運航を開始。これはクラジャンでいう「エグゼティブエクスプレス」の立場になります。

1994年になると、ジャンボに大きな変革が起こります。(私が生まれたのもこの年です。)
まず、リゾート路線向けに「スーパーリゾートエクスプレス」が就航しました。これはリゾッチャ太平洋楽園計画と銘打った企画で、主にホノルル線に就航し、「リゾッチャ」の愛称で親しまれました。初号機にはJA8111が選ばれ、外観もハイビスカスの花に極楽鳥?が描かれた派手なスタイルで運航されました。1995年末までには2パターン11機が出そろいました。また、スーパーリゾートエクスプレス沖縄と名付けられた国内線機も2機(-300型 JA8186、JA8187)登場し、羽田~沖縄~大阪線で就航しました。

続いて、ダッシュ400に短距離国際線専用機(JA8910~JA8912)が納入されました。こちらはエコノミー主体のコンフィギュレーションで、ギャレーなども少なく、完全に簡素化されたものでした。32機導入したこの時点でダッシュ400の導入は終了します。
この年の目玉は、機体にディズニーのキャラクターを描いたJALドリームエクスプレスが日本各地を飛び回ったことです。この時から、ユニセフ基金への加盟を行いました。ジャンボでは-100B型のJA8142と-100B/SUD型のJA8170が塗り替えられました。

1995年にはボーイング777の導入が開始され、国内線のDC-10を置き換えました。これにより、老朽化したジャンボん退役もどんどん進んでいきます。ただ、特筆するような大きな動きはありませんでした。
その後、ジャンボの置き換えペースを加速するため、ダッシュ400を13機追加導入することとなります。(後に3機はキャンセル)

1998年には追加導入のダッシュ400が納入され、全席にモニターを装備した「新世代ジャンボ」となりました。一方、かつて最多座席数を誇っていたJA8142JA8143がフリートを離れました。同時に国際線機材の退役も加速し、国内線で活躍していた-300型4機が国際線へコンバートされました。また、初期導入のダッシュ400もMAGIC装備改修工事が行われるなど、サービスの改善が行われました。
そして1999年には、スーパーリゾートエクスプレスに代わり、Reso'chaがデビュー。こちらの初号機はスーパーリゾートエクスプレスと同様にJA8111が選ばれました。また、ロゴもJALからJALWAYSに改められたのも特徴です。Reso'chaのジャンボは2001年までに3パターン8機が登場しました。
11月にはJALジャンボ100機目となるJA8915が引き渡され、盛大な式典が行われました。

その後は、ダッシュ400が増えるごとに在来型ジャンボが退役するという構図が2001年まで続きました。
2001年4月には、「JALドリームエクスプレス21」が発表され、ダッシュ400Dの5機とダッシュ400の1機に特別塗装が塗されました。そして8月にはダッシュ400の42号機(ジャンボトータルでは107号機)となるJA8922が納入され、ダッシュ400の納入は完了。11月にはJALとJASの経営統合が発表され、いわゆるJJ塗装が発表されました。

2002年になると、老朽化した747フレイター置き換えのため、ダッシュ400Fを2機発注し、これらJA401JJA402Jは2004年10月に受領しました。この2機が、JALにおけるジャンボの最終導入機となったのです。

2003年にはJJ塗装となったジャンボがお披露目され、順次重整備のタイミングで塗り替えられていきました。
2005年にはCBB(コネクション・バイ・ボーイング)という機内インターネットサービスをニューヨーク線とロンドン線で開始しました。その一方で、国内線専用の在来型ジャンボは全機退役しました。
2006年になると、トリプルセブンの導入が進み、供給過多となったダッシュ400をフレイターに改修する工事が始まり、最終的に6機が改造されました。また、伊丹空港では4発機の発着が禁止され、ジャンボは伊丹発着路線から撤退せざるを得なくなったこともありました。
2007年10月、短いアッパーデッキ、いわゆる「短コブ」のラストとなったJA8150が退役、2008年12月には747フレイターのラストのJA8171がそれぞれ退役しました。

2009年1月にはJA812Jを用いたバイオ燃料による飛行試験が行われました。これは世界では4社目の試みでこのあたりから、テイラードアライバルなど、エコフライトへの挑戦が始まります。
5月にはJA8913がワンワールドメンバーカラーにお色直しされ、世界中のスポッターから注目を受けました。
そして7月30日、クラシックジャンボはJO73便(HNL-NRT JA812J)JL3042便(CTS-NRTJA813J)の2便を持って完全に退役。成田空港にはぞれぞれ3分差で降りるという感動的な演出がなされ、スポットイン時には放水アーチも行われるなど、大変盛り上がりました。また、747の父として知られるジョー・サッターさんもアメリカから駆け付けるという力の入れようには、皆が大変驚きました。

その陰で、経営が傾いていた日本航空を復活されるべく、政界財界が動いたものの失敗、2010年1月には正式に会社更生法が適用され、事実上経営破たんしてしまいました。
その影響による機材整理のため、MD-81、747、A300の早期退役が決定されました。
10月には貨物専用機によるJALカーゴの運航は終了し、8機あったダッシュ400フレイターはすべて海外の貨物航空会社へと売却されました。
その後、旅客型も含め減勢の一途をたどり、今回の完全退役となりました。

JALが2004年までの33年間で導入したジャンボの数は総勢112機にのぼり、これは世界一の数として記録されています。
その世界一のJALが経営破たんし、ジャンボ全機退役という憂い目を見ることは誰もが予想していなかったと思います。本当にジャンボが居なくなるのは寂しいですが、現在開発が進められている747-8インターコンチネンタルの導入を祈願して、「JALジャンボ 歴史編」を終えたいと思います。

長い文をお読みいただき誠にありがとうございました。

※参考資料:イカロス出版 月刊エアライン、イカロスムック
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この記事へのコメント

Re: JAL ボーイング747-400 『ジャンボジェット』、完全退役! - uehiro - 2011年03月11日 15:10:45

はじめまして,uehiroと申します.
私は最終便に乗るホノルルツアーに参加したのですが,機内でも地上でも何度も泣きました.
今でも羽田や成田に行くとすぐそこにジャンボが居るような気がして,完全退役を実感できません.
エアポートひたち様の記事をゆっくりと拝読させて頂きました.改めて日航ジャンボを振り返ることができ,これまた感動しました!
JALさんには再建して頂いて,将来747-8Iが必要になるほどの元気な航空会社になるよう切に願う次第です.

- エアポートひたち - 2011年03月03日 23:56:33

>Wichさん
はじめまして☆ ご覧いただきありがとうございます。また、お褒めにあずかりたいへん光栄です。

ほんとにもったいないですよね~。燃費が悪いとは言いながら、B6と同じエンジンですし、4発機の信頼性はとても高いと思いますよ…。

今後もよろしくお願いします^^


>雅&彪'sパパさん
こんばんは~ いつもTwitterでお世話になってます!

調子に乗っていろいろと書いてしまいました。見苦しいところもあるかとは思いますが、その辺はどうかご勘弁を。
なにせ、勢いに任せて書いてますからね(苦笑)

また機会があれば一緒に飛行機について語り合いたいものですね♪

Re: JAL ボーイング747-400、完全退役! - Wich - 2011年03月01日 20:37:14

はじめまして♪
ステキなブログですねー!
今日私も、この金網の前でつくづく感じたのですが
「あぁ!B4手放すなんてもったいないっ!」(笑)
低燃費(TNP!)のご時勢ですが
いいものはいい。美しいものは美しい。
そう・・・思うんだけどなぁ・・・

Re: JAL ボーイング747-400、完全退役! - 雅&彪'sパパ - 2011年03月01日 19:41:38

ひたちくんやるね。
感動しました。
これからもみんなが感動する写真と記事をヨロシク!
これだけ書いてくれれば行かなくてもいい?かな?

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